行動するのに理由なんていらねぇんだよ
はじめに
僕は本を読んで、それをノートにまとめるのが好きなんですが、ブログを書く際の主なネタ、インスピレーションを受けているものは、そのノートに書いてある事が元となっているので、今回はそのノートを丸々記事として書き下ろしていこうと思います。
※黒字で書かれているのが、本書の内容を僕なりに噛み砕いて表現した文章で、青色で書かれているのが、僕の意見や、本書の内容から僕が思った事とか感じた事です。
今回読んだ本は、高橋歩の「行動するのに理由なんていらねぇんだよ」です。
では早速書いていこうと思います。
内容説明
本には色々な種類の本がありますが、この本はその中でも「モチベーションを高めてくれる本」に分類されると思います。知識が詰まっている本というよりは、挑戦したい気持ちや夢の実現に向けた努力を後押ししてくれる内容となっています。
メモした言葉や文章
- 常識というのは、「健全な一般人が共通に持っている、または持つべき普通の知識や思慮分別」と書いているけど、大体の人は普通の一般人で普通の学生なんだから、その中の常識で生きていたたら、夢になんて挑戦しないのが常識になっちゃうんじゃないの?だから夢に挑戦するには、自分の中のカッコ良いと思う人や憧れの人の、考え方や思考を自分の中の常識に組み込みながら、常識を形成した方が良い。実際に成功している人の共通認識で常識を形成した方が、成功の確率って高まるんじゃないの?
- 俺にとっての織田信長や吉田松陰、ガブリエル・シャネルにスティーブ・ジョブスだ。そういう人達の本をもっと読み込んで、自分の常識を形成していこう。
- 何歳でもいいから、自分にあった表現方法を見つける事ができたら、それまでの経験や失敗が全て肥しとなる。
- 写真、絵、動画、歌、とかなんでも良いから、自分の気持ちや好きを表現できる手段を見つけよう。俺は写真と文字を使って、自分のお洒落に対する拘りや、着こなしのヒントをインスタグラムという媒体を使って世の中に表現するっていう方法を見つけた。その表現技法は今の自分にとてもマッチしていると思うし、やっていて楽しいから制作過程そのものが楽しすぎて、平気で寝ることも食べる事も忘れて熱中してしまう。だから自分に合う表現技法かどうかは「楽しい」っていう感情が教えてくれると思う。インスタグラムでフォロワーを増やすために、頑張って投稿を続けている人もいると思うけど、楽しんでやっている奴には勝てないと思う。
- 自分の心の声に従う。
- 今の自分を理想の自分に近づけていく。
- やりたい事はやる。「でもそれでお金は稼げない」とかそんな事を考える前にまずはやる。自分がやりたい事をやる理由は「やってみたい」って感情だけで十分じゃないの?
- ビジネスマンよりもアーティストが稼げる時代になってきていると思う。需要から逆算して何かを始めるビジネスマンは、初期の段階では需要を気にしないアーティストに比べると、稼げるかもしれないけど、収益化を目指さず、自分の感性によって「自分の好きなもの」を作り出すアーティストには「突き抜ける」という点で到底敵わない。Windowsが変人スティーブ・ジョブス率いるAppleに勝てなかったのはそういう所だと思う。突き抜けている人にはコアなファンが根強く付くから、市場そのものを作り出せる。だからこそ、「それで稼げるのかな?」とか「収益化」を図る事は、俺は長期的に見て無意味だと思うし、「好き」「やってみたい」という気持ちに勝る動機はないと思う。俺はお洒落が好きだし服が好きだ。本を読む事が好きだし、ノートにまとめる事が好きだ。いつの日かそれでお金を稼いでいきたいとは思っているけど、収益化と需要に焦点を当てすぎて、自分らしさを見失い事は絶対に避けよう。
- 自分が本気で楽しいと思っているからこそ、一緒にやってみたいと言う人が現れる。そもそも、「誰も手伝ってくれなくても1人でやっちゃうよ」ってスタンスが大事で、その本気度を周りに示す事で、周りの空気も変わってくる。
- 夢を語ると言うのは自分へのプレッシャーにもなる。人間はついつい楽な方へ流されてしまう生き物だから、「周りに宣言しといて、行動が伴っていないのはカッコ悪いな」って感じで自分に発破をかけることができるから、夢を語る事は大事。
- 夢を語る事、自分の意見を発信することのメリットはそれだけではないと思う。俺は自分の夢や意見に対して反論される事がある。だけど自分の意見や夢を肯定された時よりも否定された時の方が、自分の夢をより細部まで確認する事ができるし、自分の意見を洗練させる事ができる。自分とは異なった意見を持つ人に、どうやったら自分の思いを伝えられるか?と考える過程で、自分の夢や意見の練度を高める事ができる。だから俺は否定的な意見や反対の意見に対しても、広く耳を傾けるべきだと思う。
- なんでもできるリーダーになる必要はなく、限られた分野で天才的な能力を発揮できる人間になればいい。それぞれが自分の得意分野のスペシャリストで、長所をでお互いの短所を補いながら物事を成し遂げていく事だ大事。
- ワンピースの麦わら海賊団の編成もそん感じだ。船長のルフィは料理もできないし、治療もできない、船の修理もできないし、航海術すら持ちあわせていない。だけど戦闘という分野において最強で、敵のボスを倒してしまう。そんなリーダー、チームが最強。
- 「自分は大したことのない人間だ」と自分を悲観する事は、無知な人間のする事だ。偉人の成功にだけ焦点を当てすぎて、誰でも最初はただの人間であったという事を忘れてしまう。だけど、世の中のごく少数の人を除いては皆凡人。今は雲の上に存在のような人も、数々のピンチを乗り越えてきた。そういう人のそのような過去にも焦点を当てて、問題解決のヒントを得ながら、自分のピンチを乗り越えていこう。
- 100万円の借金を抱えていたとしても、1億円の借金を完済した人の存在と、その人のエピソードを知っていれば、100万円の返済なんて楽勝に思えるし、その人から返済のコツとかを学んでいけばいい。人類の誕生から何千年も経っているから、自分の身に降りかかっている問題なんて、既に誰かが解決している。盗めるもんは盗もう。本はそういう面で人生の攻略本。読まない理由がない。
- 傷つかない生き方なんてないんだし、どうせなら傷つかない方法よりも、傷の再生能力を高めていこう。
- 成功するかしないかの二択じゃない。成功するまでやれば成功するの一択だ。
- プライドは捨てても美学は守る。美学を捨ててまで夢を叶えても意味がない。死守すべき美学の境界線はどこにあるのか?線引きをしっかりしよう。それができたら、その美学以外のものはさっさと捨てて、恥ずかしい事でもダサい事でも、なんでもやってやるという気概でいよう。
- 俺の美学は、「自分に正直でいる事」かな。この先お金のために自分の心に嘘をついて、悪いものを良いと言ったり、不味いものを美味しいと言ったりするような事は絶対にしない。インスタグラムやツイッターなど、SNS上でのインフルエンサーマーケティングの流行で、ステルスマーケティング(ステマ)が横行した時期もあったけど、自分の心に嘘をついてまで、お金を稼ごうとは思わない。そこだけは譲れない。
- 失敗は経験と呼ばれ、ワガママはこだわりと呼ばれ、自己満足はオリジナリティと呼ばれ、協調性のなさは個性と呼ばれる」。
- 大事なものだけ握ってろ。
- 大事なものだけ握ってろって言われると、俺にとって大事なものは「家族」と「彼女」。その人達を幸せにする為に人生を歩むのなら、自分の理想を追い求めて、ニートになってる場合じゃない。だけど自分にとって大事なものっていうのは、自分自身の中から見出すべきだと思う。自分の人生を「自分以外の人」によって決めるのは浅はか。その人らが死んだらどうするの?恋人に振られたらどうするの?自分が死ぬまでずーっと一緒に過ごす相手は自分自身だよ。人生の軸となるものは、自分自身の中から見出そう。俺にとっての大事なものは「自分が楽しいかどうか。ワクワクするかどうか」だな。
終わりに
著者が本の最後に語っていたのは「夢があるとかないとか関係なく、楽しく生きている奴が最強」という内容でした。著者がこの本を通して読者に本当に伝えたかった事は、そういう事だと思います。
モチベーションを高めてくれる本には、エナジードリンクのような、短期的にやる気を掻き立ててくれる効果がありますが、そう長くは持続しないので、僕は気分が乗っている間に行動に起こしてしまうか、定期的に読み直すように意識しています。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
コインゲーム理論
はじめに
俺は収入源なしのニートで、10月からは奨学金の返済が始まるというのに、
何の焦りもなく「俺は大丈夫」って思っている。
今日はその理由を書いていこうと思います。
持つべきは理論
俺が大丈夫と思えているのは、自分に対する圧倒的な自信のお陰でもなく、
絶対に夢を叶えてやるという強い気持ちのお陰でもない。
それは俺が、自分は大丈夫だと思える理論を持っているからだ。
俺は昔から、理論的に自分が納得できないものは受け入れてこなかった。
俺はご飯を食べる時に「いただきます」を言わない。
「いただきます」は食べ物に感謝する事が目的だけど、
別に口に出さなくても感謝はできる。
むしろ、「俺は食べ物に感謝しています」と周りに主張している感じがして嫌だ。
そもそも、慣習を無批判に受け入れて、何故「いただきます」を言うのかを深く考えずに、
ただ常識に従って言っている人の方が、感謝を忘れていると思う。
このように、俺の行動、判断には理論が深く関わっている。
俺がニートなのに、自分の大丈夫だと思えているのも、自分の中にそう思える理論があるからだ。
その理論の名前は「コインゲーム理論」
コインゲーム理論
コインゲームをやった事がある人はイメージしやすいと思うけど、
ある一定の条件を満たすと球が転がって、
それがどの穴に入るかで、外れ、ジャックスポット(当たり)が決まるゲームがある。
当たりの確率は1/10とかで、当たり以外にボールが入るとその穴は埋まっていき、
あたりの確率が1/9、1/8とどんどん高まっていく設定のやつだ。
俺は人生もこのゲームの設定と同じだと思う。というのが、コインゲーム理論だ。
失敗の反対は成功ではなく、何もない事だ。
行動を起こせば、失敗と結果のどちらかの結果が得られる。
失敗しても、それを次に活かせる経験ができたのなら、当たりの確率は高まったという事だ。
俺は仮想通貨、持論サムライ、ブログなど、
自分の価値をマネタイズできるものを構築しようとして、全部失敗してきた。
でもそれぞれの失敗で、自分なりに学んだ事があった。
それは今のインスタグラムという、
影響力のあるメディアを構築しようとする試みの中で確実に活きている。
つまり、成功の確率は確実に高まっているという事だ。
人によって当たる確率は違う。
100/1の確率の人もいれば、50/1の確率の人もいる。
その上で、1発で当たる人もいれば、2/1、1/1と確率を高めないと、
当たらない人もいる。
そういう面で世の中は常に平等ではないが、
行動という条件を満たして、球を転がさない限りは、当たりもクソもない。
失敗しながらも、学んで挑戦し続ければ、いつかは必ず当たる。
人生はそういうゲームだと俺は思っている。
だからもし、今取り組んでいる事が失敗に終わったとしても、
それを次に活かす事ができたのなら、次に挑戦する時には、成功の確率が高まっているという事だ。
だから、俺は大丈夫。
だから俺は、ニートだけど焦っていない。
終わりに
持つべきは、仮説じみてても良いから理論だと思うよ。
絶対に成功してやるんだ!とか絶対に夢を叶えてやるんだ!っていう、
強い気持ちっていうのは、無敵じゃないから意外と折れやすい。
その点、理論はそれらよりも耐久性が高い。
理論。そうである理由。
それらを自分の行動や思想とつなぎ合わせて作っていく事が、
ブレない生き方に繋がっていくと思うよ。
その時思っていた事とかって、その時その時で記録しておかないと、
忘れてしまいがちだから、俺は22歳時点での自分の思想をブログという形で記録している。
なぜかって?
数年後、俺の本を出版したいという出版社が現れるから、
その時のネタとして提供できるようにさ(笑)
最後まで読んでくれてありがとうございました!!
ニートって口で言う程簡単じゃねえ。
ニートでいる事ってよ、マジで口で言う程簡単じゃねえよ。
なるべくそうはならないようにしてるけど、怠惰な1日を過ごしてしまう時がある。
そんな日の夕方は「あ〜。俺って何してんだろ〜」って虚無感に襲われる。
「こんなんだったら、バイトでもしてお金稼げばよかったな〜」って思ってしまう。
自分の時間を差し出して、お金を稼ぐ事はそれなりに充実感をくれし、「今日もお金を稼いだ」という事実は、自分の1日は有意義なものであったと、自分の行いを正当化してくれると思う。
だけど俺は、それから得られる充実感は偽りだと思う。
人間誰しもが、理想を抱いているし、叶えたい未来があると思う。
それらに向かって努力した1日を過ごしていないにも関わらず、日銭を稼いで、その場に停止した状態で充実感を味わうというのは、本当の充実と言えるのか?
俺はそうは思わない。
むしろ危険な状態だと思っている。
叶えたい未来に向けて、どんな小さな事でも良いから積み重ねた1日と、何も積み重ねてはいないけど、日銭を稼いだ1日。
本当の充実はどっちだろうか?
俺は圧倒的に前者だと思う。
人から与えて貰う事や、お金を稼いだという事でその場の虚無感を晴らしても、短期的な解決にしかならない。
そうは頭で思っていても、その場の虚無感を晴らす為に、短期的な目の前の充実感を求めてしまう自分がいる。
だからこそ声を大にして言いたい。
「ニートでいる事は、口で言う程簡単じゃねえ」って。
職に就いていない事による、世間からの低い評価。
同級生が社会人になっていく事からくる焦燥感。
口だけで終わってしまうのではないかという恐怖感。
それらを全部ひっくるめても、
「俺は凄い」
「俺ならできる」
と信じて、自分の叶えたい未来に向けて小さな1日を積み重ねていく。
ニートでいる事ってそういう事だよ。
むしろそれができないのなら、お金を稼いだ方がよっぽどまし。
インスタグラムの投稿。
美容垢での発信する為のネタ作りに、情報収集。
無駄に感じるその1つ1つを、信じて積み重ねるしかない。
俺にだってお金を稼ぐ必要が出てくると思うし、それは避けては通れないけど、あくまでも自分の人生に対する充実感や達成感というのは、自分の手によって生み出していきたいと思っている。
お金を稼ぐ事が悪いというわけではなく、自分の時間を対価として受け取ったお金に対して、充実感を得る事。
それに慣れてしまったら危険だと思う。ってだけ。
何度も言うけど、俺は自分の時間を対価とするのではなく、自分の能力と価値の対価として、お金を受け取りたい。
そのビジョンがあるから、22歳時点での世間からの低い評価なんて痛くも痒くもない。
やりたい事、叶えたい未来、夢。
正直それらのためなら、周りにどう思われてもよくね?
オセロみたいに、最後に全部ひっくり返せばよくね?
って事で、いつ咲くか分からない花に、今日も水を与え続けようぜ!!
数年後に土台となる1日1日を過ごしていこうぜ!積み重ねていこうぜ!
俺はそうするけど、みんなはどうする?全然真似しても良いからよ!
社会人になる人も、ニートの人もそれぞれの場所で自分らしく頑張っていこうぜ!
終
そろそろクリスに「そのモチベーション好きやっさ」って言われるかもな(爆笑)
しょうみ、タイトルは混沌さん意識したってのは内緒ね(爆笑)
下手は勿体ないし、辞めるさらに勿体ない。
下手なうちに辞めるのは勿体ない
「勝負事で本当に楽しむ為には強さが要る」
最近ハマっている漫画に出てくる、僕がとても大好きな言葉です。
ほんとにその通りだと思います。
極端な話、僕はサッカーが大好きですが、僕が感じているサッカーの楽しさと、メッシが感じているサッカーの楽しさは、強度も深さも別次元だと思う。
だけど、その強さを身に付ける初期の段階では、誰しもが下手くそだ。
で、その下手くそな時期って、全然楽しくないんですよね(笑)
だから続かなかったり、好きで始めた事でも「本当は好きじゃないのかも?」って思ってしまう。本当はその分野で物凄い才能があって、少し頑張れば「楽しい」と感じる事ができるかもしれないのに。それってなんか勿体ないですよね。
他人との比較は無意味じゃない
僕は今までの人生で、好きになった事が2つある。
1つはサッカーで、もう1つが写真を撮って編集してSNSで発信する事だ。
前述した事を、全否定する事になるけど、俺はその2つに関しては、
初期の段階でも下手な故に「楽しくない」と感じた事はない。
その理由は、
下手くそな時期に負けたくないと思う相手が存在したから。
「出来ないから楽しくない」って気持ちよりも、
「負けたくない」って気持ちの方が強くて、頑張ろうと思わなくても、
周りから見れば頑張っているように見えるくらい、頑張っていたと思う。
実際に努力と呼ばれるような事を、無意識のうちに行っていたと思う。
そのおかげで、下手くそな時期に辞めてしまうという事を回避できた。
できなかった事が、1つずつできるようになっていき、
それが積み重なって、好きな事を「楽しい」と感じれるレベルまで辿り着けた。
だから下手くそな時期が楽しくないというのは、一定レベルの「楽しさ」を知ってしまった後に比べると、「楽しくない」って事なんだと思う。
実際に、写真を撮る事に関しても、初期の頃に比べると、今の方が圧倒的に楽しい。
寝食を忘れて没頭してしまう程に楽しい。
今の俺みたいに、「楽しい」を超える「楽しい」に出会えた時、
人は物事にハマるんだと思う。
まー結局は何が言いたいかっていうと、
無意味と言われている他人との比較も、意外と無意味ではなくて、
他人と自分を比べて、あいつに「負けたくない」と思う事は、
下手くそな故に楽しくないと感じる心に、免疫を与えてくれるし、
好きだけど下手だから楽しくない。と感じるような事でも、
考え方を変えれば、下手なくせに好きって事は、上達したらもっと楽しいって事だし、
その楽しさを感じる為になら、根気強く物事に取り組んでみても良いんじゃね?って事。
俺はそのスタンスで、これから先色々な事にチャレンジしていこうと思ってるよ。
最後まで読んでくれてありがとうございました。
ニートも社会人も一緒。
ニートも社会人も一緒。
俺は大学を卒業したにも関わらず、ニートになった。
ニートという肩書きは、周りからの評価が限りなく低い。
同世代の人達が4月から新社会人になるにも関わらず、
職に手をつけていない人間に対する世間の評価は厳しいものだ。
だけど俺は思う事がある。
「なんで22歳時点での自分の社会的な立場で、世間に自分を評価されないといけないのか?」って。俺の人生が22歳で終わるのなら、その評価は正当だと思うが、
医学の進歩に伴って、日本人男性の平均寿命は約81歳までのびた。
人生は長くなった。それなのになんで22歳そこらの自分の社会的な立場で、自分を評価されないといけないのか。就職したやつと比べて下に見られないといけないのか。俺は不思議でたまらない。
社会人とニート。
現時点で見ると、ニートはクズ扱いされている。
だけど、59年後の81歳にどうなっているかは誰にも分からない。
受けている評価は逆転しているかもしれない。
4×100mリレーでは、第1走者の最初の100mにおいて、内側の選手よりも外側の選手の方が、視覚的に前にいるように見えるが、実際のところ大きな差はない。
それと一緒で、社会人になった人達は外側の選手であり、内側を走るニートに比べると、視覚的には先を走っているように見えるが、実際のところニートと大きな差はないと思っている。
大事なのはその後だ。20代は第1走者の最初の100mであって、その後の30代40代(100m〜400m間)をどのよう生きたのか?(どのように走ったのか)で、立ち位置はいくらでも変わってくる。
最後の100メートル直線でニートと社会人、
どっちがリードしているかなんて誰にも分からない。
だから俺は22歳でニートである事に対して、世間が下す評価はクソだと思っている。
大事なのはゴールした時に何位でフィニッシュしているかだろ?
だから、現時点での世間的な評価とか気にせず、自分の生きたいように生きれば良いと思うよ!
最後まで読んで頂きありがとうございました!!
おしまい。